過去数十年における技術的・科学的進歩にもかかわらず、人生のクオリティー、つまり精神的な価値と道徳感は、これまでになく低くなっているようだ。新聞は詐欺、自殺、凶悪犯罪、薬物、政治の軋轢などのニュースに満ち、日本が以前誇った高い倫理水準は影を薄くしてしまっている。
現代文化のこうした病は、学校において増え続ける問題にも反映されている。学校は教育を提供するところである。とはいえ、子供たちの教育の権利は今まさに脅かされている。登校拒否l児の数は年々上昇し続け、またいじめを原因に自殺をする生徒のニュースが頻繁に流れる。いくつかの学校では、激しい競争にせかされて道徳、美術、技術・家庭などといった重要な必修教科が省かれてしまっていた。勝つか負けるかの競争社会において、個々の生徒の人格と個性はないがしろにされ、人間関係は表面上の薄いものになってしまっている。
世界をリードする経済大国であり、また伝統と文化を誇る日本は、この問題に直面し、西洋教育の一途をたどりつつある。しかしこの道筋がたどり着く先は一体どこなのか。そしてそれは日本がたどるべき道なのか。
アメリカ合衆国では現在 600 万人以上の生徒が、教育問題に対する「解決策」として向精神薬を処方されている。この数値の増加は、アメリカにおける凶悪犯罪、ギャング問題、薬物問題の増加に比例し一致するものである。それはまた、アメリカ人の読み書き能力の極端な低下にも現れている。
いじめ問題もまた、日本に限らず西洋諸国に存在する。いじめの解決策として、大手の製薬会社は世界中で学校に対して働きかけ、問題を抱える生徒に向精神薬を推薦し与えるよう勧めている。言い換えれば、学校を教育の場でなく、精神医療クリニックにしようというのである。
西洋社会の風潮に忠実に従い、日本は最近、「学習障害 (LD) 」、「注意欠陥多動性障害 (ADHD) 」という病気名を輸入し、その名の下に何千万もの児童に向精神薬を与え始めた。
ところで薬物による解決策がなぜ間違っているのか?答えは単純である。いじめや学習問題の原因であるとされている「体内における化学物質の欠如」は、科学的または医学的に証明されたことが一度もないのである。さらに、これらの向精神薬には強度の副作用があり、これまでにアメリカだけで 4 万 6 千以上の訴訟が製薬会社に対して起こされている。
この薬物治療の理論を適用した結果が、国際的ニュースとなった凶悪犯罪、学校における殺害事件である。日本もその例外ではない。 *** 年に *** で 15 歳と 16 歳の少年が鎮静剤 ( 睡眠薬 ) を摂った後で「無敵に」感じ、 16 歳の高校生男児を刺し殺した事件は、日本で起きた事例のひとつである。海外政府の多く ( アメリカ合衆国、カナダ、イギリス他 ) は、児童を治療するために用いられる薬物が児童にとって危険であり、また凶暴な振る舞いを引き起こすことがあると警告している。
はたして日本は今後、西洋諸国のまちがった教育のルートをたどり、国中を薬漬けにし、教養の低い暴力的で不寛容な国へと陥っていくのか。あるいは、より良い解決策は存在するのだろうか。
幸運にも、私たちには学ぶべき前例が多くあり、他国が犯した過ちを繰り返す必要はない。薬物ではなく、より良い教育が解決策への鍵である。読者のコメントや意見を歓迎する。 |